その理由に関しては様々な意見があるかと思いますが、私が考えるのは闘争心の強さです。
そんな具志堅さんが妻の香澄さんと婚約発表記者会見をしたのは1980年6月27日のことでした。
現在はボクシングジム会長として第2の具志堅用高を育てるべく、ジムで情熱を注いでいる。
あの頃は(チケットが)10万円から30万円してましたから、みんな銀座のホステスさんですよ」と人気ぶりを自賛し、共演者は爆笑。
」と心を込めたメッセージを伝え、会場は再び大きな歓声と拍手に包まれました。
でも、リングに上がって、ゴングが「カーン」と鳴ると、一瞬にして恐怖心が闘争心に変わるのがわかった。
具志堅は1位で364票を獲得、2位のファイティング原田の133票を大きく上回った。
確かに王座を奪ったWBA世界ジュニアフライ級(現ライトフライ級)タイトルマッチでは、積極的に前へ出て、チャンピオンだったファン・ホセ・グスマン(ドミニカ)を見事7RにKOで倒した。
結果としてはその通りになったが、頭脳派と称され2度目の防衛戦の相手でもあったたマルカノのリベンジマッチでもあった。
去年(1979年)の夏、友人とツアーで沖縄旅行に行き、具志堅さんの実家がある石垣島へも行って来たんです。
プロとしての戦績は24戦23勝(15KO)1敗で、この1敗が14度目の防衛戦でした。
昭和49年5月、プロでデビューして以来2年5ヵ月。
この世界王座13回連続防衛記録と6連続KO防衛記録はいまだに破られていないそうです。
そしてそのまま今日まで来てしまいましたので、ここで具志堅さんの戦績やその強さをちょっちゅ調べてみたいと思います! スポンサーリンク デビュー9戦目での王座奪取は当時の最短記録で、1991年に辰吉丈一郎選手が8戦目での奪取に成功するまで約20年もの間、更新されることがなかったそうです。
途中、カウンター気味のパンチが入り、顔を歪めグラッとするも、具志堅ペースで試合が進み、7Rに見事KO勝利を掴んだ。
素直とは、自分の変なプライドを捨てて、愚直に実行することである。
デビューからわずか9戦目で世界タイトルを獲得し、それから13回防衛を重ねた。
僕はプロなんだからファンを喜ばせるためにKOしかないと思って戦ってきた。
「スポーツの基本は足。
そんなところが具志堅用高さんの最大の魅力なんじゃないかな~と感じます。
印象に残ったのが、VTR出演をした井上尚弥の一言。
その中には、6連続KO防衛もあり、なおかつ階級別の世界防衛記録もある。
夜寝られなくなって、打ち合いの展開を頭のなかで描いては消し、描いては消ししてやっと、もう倒されてもいいから、とにかく「逃げない」と決意した。
KOよりスピードが試合の見どころだ。